2011/06/28

甘く優しい針づかい

本日、あるお客様が、約5年ぶりにご来店されご注文いただきました。 
そのお客様の着ていた服が、とても意味深げに感じられたので、私の所感を書かせていただきます。

着ておられたジャケットは、内ポケットのタグを拝見したところ「2004」年につくられたイプシロンの手縫いのものでした。
以前、船橋がミラノにおり、日本にトランクショーをしていたときに数着つくって頂いたそうで、その後日本で本格的に店を構えたと聞き、わざわざ立ち寄っていただきました。
そして、約7年たったその服を、その方はとてもきれいに着てらっしゃいました。
生地もきれいであることと同時に、全体の柔らかな雰囲気が動きの中で表れ、その方の哀愁と共にとても“粋”に感じられました。

お客様がおっしゃるには、そのジャケットは「軽く、着やすいので、遠出する際など選ぶ。楽だから。」
また、「初めにつくった服の内側の糸が切れたので、直してほしい。近所のベテランの直し屋さんに持っていったら、こうゆうつくりのものは生地の風合いを殺さないために手縫いで甘く優しく縫っていると言われた。」そうです。

それを聞き、私は「そうだ。やっぱりすごい。」と改めて思いました。服や、歴史や、人の知恵や、積み上げてきた技法や、美的感覚や。その深さを改めて。
なぜ見返しを一針一針手で縫い合わせていくのか、なぜ何度もアイロンで馴染ませていくのか。つくりの技法には感覚的な意味がある。

服に限らずとも、無論設計図である型紙は大事なものだが、センチで計るデザイン、ディティールだけでは完成しえない、“手が感じる、つくる”物の形には、一言では表現しづらい感動があるはず。と。実際に目の前に現されたその服を見て、ただそう感じました。


2011/06/12

この原発事故に一言

福島原発炉心溶融事故により被災された方々には本当にお気の毒で言葉がありません。

最近、この人災と言われる原発問題への対応で、現在の日本政治の姿が浮き彫りにされてきました。各党、各政治家の思惑と絡みによって政策が決まらない。首相がそれぞれの思惑でつぎつぎと引きずり降ろされる現状。

この国は大丈夫だろうか。危機感を感じます。

今、我々はこれらのことを真剣に考え、意識改革を始める時ではないかと思います。
一例ですが、イタリアは1980年代に国民投票により原発を廃止しました。

これは結果論かもしれませんが、一票で決めた事がもし間違ったとしたら、我々自身に反省が生じ前進するが、一部の人々で決められたことが間違えると批判と責任転換が生まれ混乱となるのです。

大事な懸案は政治家にゆだねるのではなく、我々の一票が生かされるように変えていくことが真の民意を反映できるのではないかと思います。

このことにより我々に大事な一票の責任が生じてきます。

戦後日本に沢山の諸問題が生じてきたのはこの責任拒否が原因と言っても過言ではないように感じます。これから、この責任の道筋をしっかりとつくっていくことが、子供たちに対する大人としての義務ではないでしょうか。
このまま子供達が今の環境で時を過ごしていくと、何の疑問や考えも無く流されていくことが目に浮かびます。

自分の中で、何が正しく、そうでないか、まず大人が考える姿勢を子供たちに教えていくべきだと考えます。それがこの事故からの教訓ではないかと。

最近の事故対応に対して、思うところがありましたのでブログに書かせていただきました。失礼致しました。



船橋 幸彦


2011/06/11

サルトリアイプシロン ミラノのジャケット

船橋私物のジャケットです。

生地ブランドは不明ですが、S/Sのモヘア混紡ウール地で、ハリ感、コシのある生地です。こちらは以前、ミラノ時代の職人さんが縫ったものです。

衿、ラペルの雰囲気、腰の丸みなど手縫いらしい柔らかな立体感が出ているかと思います。
クラシックな形、シルエットは、時が過ぎても決して色褪せる(飽きる)ことはありません。