2013/12/24

Buon natale!



来年の干支は午。

私は幼少のころから馬との縁があり、長崎くんち(長崎市諏訪神社祭礼)の時にも馬にまたがり町中を練り歩いたことを覚えています。それ以来馬が好きになり、映画やテレビで馬の映像を見ただけでもう目が釘付けになってしまうのです。
実は馬が好きというだけで乗馬など出来もしないのに16歳の時には無謀にも乗馬ブーツを注文し、自分の騎乗した姿にあこがれていたものです。

23歳でロンドンに渡航した折には、彼の地で使うつもりでこのブーツを持参したものです。ところが、中々その機会に恵まれないまま一年程でローマに移ることになり、更に3年が経ち欧州での暮らしにも慣れた頃に、ようやくローマ観光で有名なアピア街道沿いにとある乗馬クラブを見つけ通い始めることになりました。これが私の乗馬ライフの始まりです。

遠乗りの際には、古代ローマ時代からのアピアの遺跡を仲間と巡り、ジュリアス・シーザーも眺めたであろう夕焼けの景色の中に我が身をおいて、馬上のローマ騎兵の気分で悦に入ってました。

1985年頃からは自分のアトリエでの仕立て仕事も忙しくなり、乗馬クラブから足が遠のいていた時期もありありましたが、1995年にミラノに移り5年が経ち仕事の方も軌道にのった頃から無性に馬が恋しくなり再び乗馬クラブに通い始めました。
イタリアの馬術競技では障害物越えが盛んで、ひたすらに跳ぶ事ばかり楽しんでいました。

2004年にはいささか調子にのり過ぎて跳躍後に振り落とされ、腰の3番の骨を骨折して、ベットに2週間寝たきりの入院生活を余儀なくされたこともありました。
その後、40日間ものギプスをはめたままの生活は結構不自由なものでしたが、それから1年間程はリハビリを兼ねて水泳に励み、どうにか健康体を取り戻すことが出来ました。

この落馬事故がトラウマになるかと懸念したのもつかの間、やはり好きな馬とは離れられずに乗馬を再開。それからも、障害物跳躍後の馬の暴走を2度ほど経験しましたが、怪我の方は大したこともなく今日に至っております。

2009年に日本橋にアトリエを構えた後、東京の生活にも慣れた翌年の春には早くも乗馬のことが頭をよぎる様になりました。決して時間を持て余していたわけでなく、むしろ気ぜわしい毎日だからこそ、馬との交流の日々が忘れ難く、東京でも乗馬ライフを再開しました。
日本では馬場馬術を習得しようと決めてましたが、イタリアとは馬の様子が違うのには戸惑いました。

馬が全然動かないのです。
フェラーリの国の馬が暴走するのは、なんとなく納得できますが、日本の馬の気性が理解できていない自分に気付き、基本から取り組むことにしました。運転免許の取り直しです。

幸いオリンピックに出場した法華津さんのアシスタントもされた方から上手な指導を受けることが出来、お蔭様でその後の乗馬ライフがとても楽しいものなりました。
その乗馬クラブでは、一日一回馬を放してストレスなく飼育しているため扱いやすいということも知りました。
馬の飼い方にもお国柄があるようで、フェラーリにはそれなりの事情があり運転技術が必要と言うことで、これにも納得した次第です。
先日は初めて大会出場を果たしました。自前の乗馬ジャケットを着けての出場です。

私は服のフィッテング時には必ず椅子に座って戴きます。その時にバランスのとれているジャケットは肩廻りに皺も出ず、見た目も綺麗で着心地もいいのです。フロント釦も無理なく止まります。
これが「やじろべえ」の理論なのです。

この写真はJEF馬場馬術競技A2課目2013を受けた時のものです。自前のジャケットのせいもあってか結果は銅賞でした。
手前味噌ですが、乗馬からは学ぶことが多く、これからも精進し人馬一体の競技の興味を人服一体の仕立て仕事に生かし、エルメスが馬の鞍なら私は乗馬服をしてヨーロッパ伝統の競技とそのエレガントな装いにこれからも挑んでいこうと思います。


船橋幸彦