2015/04/23

Saggio #3

「Via Gallia 60」

 9月に入ると仕事や学校などが始まるので、イタリアもやっと動き出すのかと思いきや、だいたい9月末頃までだらだらとバカンスの雰囲気が続いているのに驚く。

 3か月余りのペンショーネ生活が続くと精神的にも疲れ、夜バールに行き強いウォッカを飲むようになっていた。このままではまずいと思っていた矢先、ローマで知り合った日本人の方から「シェアで借りているマンションの1室が空いた」と連絡があった。
そのマンションには3部屋あり、一人が建築の勉強で来ていた立花さん(私より3歳ほど上)、もう一人は料理の勉強に来ていた久保脇(私より2歳ほど下)という2人で、これはチャンスと思いすぐに入居のお願いをした。荷物も旅行バッグくらいだったので簡単だった。
そのマンションはサン・ジョバンニ※1、コロッセオ※2、カラカラ浴場※3、アッピア街道※4が近くにあり、ローマの城壁も一つ道を越せばあった。今でも住所を覚えている。Via Gallia 60 ※5である。


部屋の右奥に台所があり、その台所の入り口の右側に赤い白黒テレビがあった。
何の気なしにそのテレビを付けると映画が始まった。まだほとんどイタリア語の分からなかった当時だが、その映画に引き付けられ最後まで観ていた。言葉は分からないがとにかく感動を覚え、この映画の監督は一体誰で、タイトルは何かを知りたくて、エンドロールを一生懸命見ていた。

”Federico Fellini” ”La strada”

監督は「フェデリコ・フェリーニ」、作品名は「道」ということだけは分かった。
私はこの時、将来この監督の服を作りたいと深く念じたのである。

続く


※1 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂。ローマの四大大聖堂の一つ
※2 コロッセオ。ローマ帝政期の円形闘技場。ローマを代表する観光地。当時のマンションから歩いて10分程で着く。
※3 カラカラ浴場。古代ローマの公衆浴場の一つ。ローマ帝国第22代皇帝カラカラが造営した。
現在では、夏にはオペラが上演され、当時オペラの声がマンションまで聞こえた。
※4 アッピア街道。小説「Quo Vadis クォ ヴァディス」で、使徒ペテロがローマを出ていく時に通った道。「全ての道はローマに通ず」でもおなじみ。アッピア街道の基点のサン・セバスティアーノ門も近かった。
※5 Via Gallia 60。google mapでご覧頂くと情景が浮かんで面白いです。

ローマ サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂

アッピア街道の基点 サン・セバスティアーノ門



フェデリコ・フェリーニ監督 「道」 の一場面